2010年04月19日(月)

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6


心配事があるだろうか。人は多くの問題を抱える。親子、夫婦、家族、対人関係、仕事、進路、経済的問題、次々と悩みが来て不安に陥る。しかし、主は「思い煩うな」と。思い煩いは無用と。なぜ無用なのか。

それにより何一つ変わらないし、何をも成し遂げない。「誰が心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができるか」の通りだ。不安と恐れで心が真っ暗になり、それで、何かを変える事ができるのか。思い煩いは全く何の益もない。有害無益だ。

又、思い煩いは、実際より、物事を巨人のように大きく見せる。冷静に対処するなら、乗り越えて行ける事が、パニックに陥ってしまう。カナン視察の後、ヨシュアとカレブは大丈夫だ、前進しようと言ったが、民は恐れて怯えて泣き伏した。

その思い煩いは絶えず脳裏に浮かび、それを受け入れ続けていると、不安と恐れの要塞を築き上げ、それを尚も固くし、思い煩いのモンスターにしてしまう。自分がしている。モンスターにはとても打ち勝てず、不信仰に陥る。

しかし、それは現実、実際とは異なる。想像上のモンスター、自らが描く最悪のシナリオは成ったためしがない。「あらゆる場合に」「祈りと願い事によって」その不安、あの思い煩い、この恐れ、主に知って頂き、主に渡そう。「そうすれば」神の平安が心に臨む。
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思い煩う時、ふっと神様を忘れてしまっている。先のことを全て知っておられ、今の恐れを平安に変えて下さる方に祝福を求めて祈ろう。不安ではじまっても、神様が共におられるから結果はいつも祝福と感謝で終わっているのではないか。