2010年06月19日(土) 「彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた」使徒9:4
「彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた」使徒9:4
神のため、正しい事だと信じ、クリスチャンを迫害し、殺害に燃えていたサウロ。 エルサレムだけでは気が済まず、ダマスコまで追いかけた。その時突然、天から の光が来て、彼は地に倒れた。 そして「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」「町に入りなさい・・告げ られる」との声を聞く。地面から起きた時、目が見えなくなっていた。倒れた時 に、パウロは御声を聞いた。 神が倒されて、御声を聞かせられた。私たちは全力疾走している時、脇の事は見 えないものだ。神は御声をかけられているが、私たちの側で気づかない。倒れた 時、行き詰まった時、失敗した時に、立ち止まる。 その時こそが、御声を聞く時だ。パウロは3日間、目が見えなかった。それまで の人生を深く考えた事だろう。人は立ち止まる事がなければ、深く考える事もな い。誰しも倒れたくなどない。失敗も挫折も嫌だ。 しかし、それこそが大きな祝福と喜びにつながる。パウロは地に倒れて、救いに 入れられた。自分の力で、自分の強い意志で、駆けていたパウロが、天からの御 声を聞いて、御声に従う人に変えられた。 挫折は人の目から見るなら避けたいもの、あって欲しく無い、マイナスのものだ が、神の目から見る時、立ち止まらせ、成長へと導く大きな祝福だ。今もし行き 詰まっているなら、大きな祝福の時だ。神視点に立ち、告げられる御声に耳を傾 けよう。 ・・・・・・・・・・・・・・ 挫折は嫌だが、大きな恵みだ。前進も、後退もできず、行き詰まった時には、祈 り、神を求める。自分を内省し、吟味し、自らの今までの歩みを振り返り、行く 末を考え、神がどのようなお方かを考える。立ち止まりは祝福だ。新たにされる 時だ。