2011年01月20日(木)

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです」Tペテロ5:5

ある人が、職場でどうしても、うまく行かない相手がいた。話すと、意見が合わず、ギクシャクし、相手にトゲを感じる。段々、話す事も苦痛になり、その事を祈りに持って行った。すると、相手の欠点ばかりが目に付き、そういう見方しかしていない自分に気づいた。相手を嫌い、責め、裁いていた。相手にトゲを感じ
ていたが、実はトゲを出していたのは自分だった。

丁度「高慢」についてのメッセージがあり、「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり」「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われた」主の姿に、自分の高ぶり、自我、愛の無さを示された。悔い改め、へりくだる事を祈った。へりくだりたいと心を向けていた。

そんな時、相手と仕事の事で話をしていた時、相手との関係が変化している事に気づいた。自分が変えられた。自分がへりくだろうとして祈る時に、主が対人関係に働かれる事を見せられた。柔和に対話でき、トゲが消えていた。

こちらが心を開き変わったので、相手も変わってしまった。対人関係は、どちらかが変わると変わる。悔い改めて、主に拠り頼む時、主はそこに働かれ、みわざをされる。あなたも今、へりくだれと示されているだろうか。
--------------
主がご自分を無にし卑しくして十字架につかれ私達は赦された。その主に似た者になるよう自我を手放し柔和になれるよう祈ろう。主に従って行く歩みは証しとなり対人関係も主が変えて下さる。