2011年06月19日(日)

「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見 分ける感覚を訓練された人たちの物です」へブル5:14


私たち信仰者にとっても、自分の願いが叶うことは、嬉しい事であり心地よい。
願い通りのものが与えられるなら、どんなに幸せだろう。私たちも、辛い、苦し
い事態は避けたいし、逃げたい、好きではない。自らの思い通りの事柄は大歓迎
で、大喜びで、思いと異なる事柄はどうしても受け入れ難い。

しかし、その思い通りでない事態により、私たちは成長する。練られ、鍛えられ、
きよめられる。振り返る時、どうにもできない状況の中で、心の底から神を叫び
求めたのではないか。神に求め、拠りすがる事によって、一歩一歩成長して来た。

もし、私たちが成長を望むなら、痛い事、苦しい事を逃げるな、避けるな、だ。
それによって、「良い物と悪い物を、見分ける感覚を訓練される」のだから。苦
しみの中で、あがき求める中で、御霊からのもの、悪魔からの誘惑、肉から湧き
上がる思い、これらのものが少しづつクリアにされて行く。

今までわからなかったものが鮮明に見えて来る。頭の理解でなく、「経験によっ
て」だ。あくまでも、経験を通してであり、経験が必要だ。経験が積み重ねられ
る中で、識別力が培われる。

様々な苦しみを通りながら、見分ける感覚が訓練されて、研がれて行く。もし、
霊的成長を願うなら困難から逃げてはならない。様々な「経験」は、霊的宝とな
る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
試練は苦しく、しんどいが、その中で様々な事を考える。御言葉は何と言ってい
るのか、主はどんなお方か、自分の内側が照らし出され、今までを振りかえる。
何を教えようとされているのか、真剣に考え求める。そんな中で霊的に訓練され
鍛えられる。