2011年07月20日(水)

「彼は恐れて立ち、自分のちのちを救うために立ち去った」T列王19:3

バアルとの壮絶な戦いの後、エリヤを憎むイゼベルが、明日までにエリヤを殺すと宣言した。心身消耗し果て、力尽きていたエリヤは、恐怖に怯えた。あの戦いは何だったのか、無駄だったではないか・・、失望と挫折感に襲われた。しかし、それは事実ではなかった。自分の屈曲した思いで事態を見る時、見誤ってしまう。
エリヤは「私だけが残った」と言うが、しかし、神は七千人も残しておられた。歪んだ思い込みをしてしまう。あれほど厳然と勇敢にバアルに立ち向かった信仰の人エリヤが、恐れ怯えて逃げ出した。

「自分の命を救うため」とあり、自分を守ろうとする途端、恐怖と不安、思い煩いに支配される。自分で自分を救わねばならず、それは自分の能力を超えているので、パニックだ。私達も平安失せ、思い煩いと恐れに捕らわれるのは、自分で自分を守ろうとしている時だ。ただただ問題から逃げたいが、しかし、逃げても何の解決もない。逃げると、そんな自分にますます落ち込む事になる。

結局、主は、エリヤに十分な休息を与え、回復させ、御前に立たせられた。そして、新しい使命を与えられた。今、失望落胆しているだろうか。恐れがあるか。
自分で自分を守ろうとせず、又、逃げずに、神の御前に立とう。余す所なく気持ちをぶつけて良いのだ。神は御声をかけ、同じように私達も導いて下さる。回復は神との交わりから来る。
------------
自分しか見えなくなった時、私達は弱い。自分の解決法や対策は悲観的で、ますます弱り消耗するばかりだ。だから絶えず神様の力強い御手を覚えるためにも、み言葉と祈りの時間を持ち落ち着こう。