2011年08月20日(土)

「主が彼に幻の中で、『アナニヤよ』と言われたので、『主よ。ここにおりま す』と答えた」使徒9:10



アナニヤという信徒が出てくる。彼は使徒ではないが、主に忠実な、従順な信仰
者だった。主に「アナニヤよ」と語りかけられた時、「主よ。ここにおります」
と答えている。普段から、「主よ。どうであってもお従いします」が、アナニヤ
の姿勢であり、主との親しい交わりの中に生きていた人だったろう。

何と、主はサウロのもとへ行くように命じられた。アナニヤは驚き、戸惑い、率
直に思いを告げた。サウロは、聖徒達を迫害し、次々と縛り上げ、死に渡した者
であり、そんな所へ行くなど、自分も殺されるかも知れない。あのサウロが、本
当に回心したのだろうか。

主は、そのアナニヤの問いに答えられ、「あの人はわたしの名を・・運ぶ、選びの
器」であり、大いに用いられて行く事を明かされる。アナニヤは命がけであった
ろうが、間違いの無い主の御声に、主を信じ、従順に従った。主の指示通りに、
サウロのもとに行き、彼の上に手を置いて、「兄弟サウロ・・」と祈った時に、サ
ウロは見えるようになった。

このアナニヤの尊い従順のゆえであった。そして、主はアナニヤが従うことを知
っておられた。「主イエスが、私を遣わされました」と、アナニヤは「神から遣
わされた」との自覚と確信を持っていた。

私たちはどうだろう。私たちもそれぞれの場に、主から遣わされている。それぞ
れの置かれた場で、「主よ、ここにおります」と主の御声に応答し、御心に従っ
て行く時、大きなみわざのために用いられる。今、主に従順をお献げしよう。

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「主よ。ここにおります」に立ち、今、なすべき事を示されていたなら、勇気を
持って一歩従おう。主のみわざがなされる。「主イエスが、私を遣わされまし
た」、自分の思いでなく、主に遣わされて生きるところに、真の平安と喜びがあ
る。