2011年10月20日(木)

「彼は生まれつきの足のなえた人で、歩いたことがなかった・・パウロの話すことに耳を傾けていた」使徒14:8


ルステラに、生まれながらの足なえの男性がいて、一度も歩いた事がなかった。パウロが御言葉を語っていた時に、その人が丁度そこに座っていて、耳を傾けていた。彼は自分の足に関して、何も、どうする事もできなかった。どうやっても歩く事は不可能だ。自分自身に全く望みを置けない、完全無力の状態だった。

自分で何もする事ができない。だからこそ、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」とのパウロの言葉にすがった。すがれた。彼にはこの言葉しかなかった。すべての望みを置いて信じて賭けた。この言葉がすべてだった。自分が完全に無力だからこそ、そうできた。その言葉に拠り頼んだ。その信仰に、神の力が働き奇跡が起きた。かつて一度も歩いた事のない彼が、飛び上がり歩き出した。

私達も自らの徹底無力を知る時が、信じる時だ。何の方策も無く、何もどうにも出来ない。信じるしか道がない。その時に初めて信仰が働く。自分の力、方法に頼っている限り、自分を信頼している限り、神への信仰は無い。幾ら御言葉があっても、必ず自分の力、方法でやって行く。そこに信仰の入る余地はない。信仰とは、御言葉だけを頼りに、自分を任せて行く事だ。ゆえに、自らの無力を知る事が大きな祝福であり、幸いだ。無力に落ち込む事など無い。
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万策つき自分の力でできないと一つ一つ知って行くことは本当に祝福だ。真に主に頼れる。そして些細なことにも真っ直ぐに主のもとに行けるよう信仰の根が張る。