2011年12月18日(日)

「『さあ来て、朝の食事をしなさい』弟子たちは主であることを知っていたので、 だれも『あなたはどなたですか』とあえて尋ねる者はいなかった」ヨハネ20: 12  



復活された主は「ガリラヤに行きなさい。そこでわたしに会える」と言われ、そ
れで弟子たちはガリラヤへ行った。しかし、心は重く、空虚であり、なすすべな
く、ペテロは漁に出ると言い、他の弟子たちも従った。

しかし、何も捕れなかった。夜明けに、誰かが岸辺に立ち「舟の右側に網を下ろ
せ」と言った。半信半疑で言われるままに網を下ろした。すると、網が引き上げ
られないほどの大漁だった。ヨハネが、はっと「主です」と気づいた。ペテロは
飛び込んで、主のもとへ泳いだ。

陸地に上がると、主が魚とパンの朝の食事を用意して下さっていた。漁の前のう
つろな重苦しい、暗い雰囲気とは一転し、温かい静けさで満ちていた。目の前に
おられるのが、主であると、皆、知っていたからだ。

炭火を見て、ペテロは主を裏切った傷がうずいた事だろう。主はペテロに「あな
たはこの人たち以上に、わたしを愛しますか」と言われた。以前のペテロなら自
信満々で「勿論ですとも」と言っただろう。しかし、砕かれたペテロは「私があ
なたを愛することはあなたがご存じです」が精一杯の答えであり、これが彼の真
実であった。

主は三度問われ、ペテロは三度答えた。主は、このやりとりで、ペテロの心の傷
を癒して行かれた。主はペテロを回復され、「羊を飼いなさい」と再度、主はペ
テロに使命を与えられた。主の愛は、何があろうと、どんなに失敗しても、変わ
ることがない。主のもとにとどまろう。

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生まれつきの価値観では、この何があっても決して変わらない愛や、無条件の愛
がわからない。この世には無いからだ。いつも赦され、回復させられ、あるがま
ま受け止められて今がある。この変わらない主の愛に包まれている事を、今日も
感謝しよう。