2012年02月18日(土) 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をか たくなにしてはならない」ヘブル3:15
「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をか たくなにしてはならない」ヘブル3:15
モーセはカナンに12人の斥候を遣わし、その報告を聞いた。10人は民は強く、 巨人達もいて、城壁は大きい、攻め上れないと恐れた。それを聞いたイスラエル の民達は恐れて怯え、不信仰に陥った。 神が与えると言われた約束の地にも関わらず、エジプトで死んでいたらよかった と、不平不満で一杯でエジプトに帰ろうとまで言い出した。主は「いつまで信じ ないのか、わたしを侮るのか」と、つぶやいた民達は荒野で滅びると告げられた。 すると、それを聞いた民達は、「罪を犯した。とにかく言われた所へ行こう」と カナンへ上って行く。モーセは、主が共におられないから、行ってはならないと 止めたにも関わらず、上って行き敗北する。 行けと言われれば行かず、行くなと言われれば行く。自分の思いがあるばかりで、 御声に従わない。民の姿は自らの姿かも知れない。神に従うために「時」がある。 時を逸しては、もう遅い。後から従おうとしても、もう従えない。 民達は斥候が戻って来た時に、自分の思いでなく、信仰に立つべきであった。神 の約束に立ち、神を信じカナンへ入って行くべきであった。後悔するが、時すで に遅し。主の御声は愛だ。愛による語りかけだ。主の愛に応答し、従って行く時、 更に主の愛を知る。 あなたも今、示しを受けているだろうか。御声に従おう。一歩踏み出す時、更に 神の愛を経験して行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 主の導きがある時には、導きと共に、必要な力が与えられる。導きに従ってみよ う。必ず成し遂げる事ができる。又、御心に従う時には、必ずサタンが来る。行 わせまいと妨げる事も覚えよう。主の愛による御声が、かけられているとは嬉し い事だ。従おう。