2012年03月20日(火)

「すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、彼をその場で打たれたので・・その場で死んだ」Uサムエル6:7


ダビデがサウルに替わり、王位についた時に、神の箱をエルサレムに持ち帰ろうとした。その時に、アビナダブの子、ウザとアフヨがこの任に当たり、牛車を御した。その時に神の箱がひっくり返りそうになり、ウザが箱を押さえた。すると神の怒りが燃え上がり、ウザは打たれて死んだ。ウザにこのような事態が臨んだからには、何かの過失があった。

当時、神の箱は、アビナダブの家に運び込まれて、数十年を経ていた。置き去りにされ、忘れられていた。神の臨在の象徴である、聖なる神の箱がこんな形で置かれていた事が、当時の人々の霊的状態だった。又、神の箱は、移動に際しては、レビ人のケハテ族が、棒を通して、肩に担いで行くよう決められていた。

しかし、彼らはレビ人ではなかった。そして、ペリシテ人がしていたように、牛が引く牛車に乗せて運んだ。ケハテ族でさえ触れてはならなかった。神の定めた方法に無頓着であり、反していた。確かに、神の方法でなく、自分の方法で行なった不従順である、しかし「不敬の罪」「ウザによる割り込み」とある。

主のみわざに割り込む事、人の手が主を支えよう、助けようとする罪だ。主にはご計画がある。配慮のつもりで、自分の独りよがりの善意で、自分の思いで、主のご計画に割り込んで、妨げてしまう。主にはしようとされている事がある。
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形式や習慣ではなく、常に主と共にあるご臨在を覚えて日々の信仰生活を送りたい。主のご計画に無頓着になり自分の思いが先立つ時には気づけ、悔い改め、主の御心の中を歩んで行けますように。