2012年04月19日(木)

「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。 明らかにされたものはみな、光だからです」エペソ5:13


ある人が、庭掃除をしていた時に、主の取り扱いにあずかったと証しした。ほこ
りまみれ、土まみれになり、懸命に庭の隅々まで掃除をし、草刈りをしていた。
その時に、自分のこの姿を、人に見せたいという思いが湧いた。何と働き者の素
晴らしいご主人、良い人に見られたい、褒められたい。古い性質は、自分が崇め
られる事、賞賛される事を求める。

別の婦人は、パン作りが得意だった。主のためにそれを用いられたいと願ってい
た。朝からパン作りに精を出し、美味しいパンが出来上がった。隣家に差し上げ
ようと、そのパンを届けたところ、大変喜ばれた。

しかし、家に戻った途端、すうっーと心から平安が失せた。何でだろうと、主の
御前に静まり、祈った。すると、隣家へ持って行ったのは、こんなに上手にパン
を作る「私」、「私」は何と素晴らしいと、自分を誇るためであったことを示さ
れた。

肉の性質には、根深い自己中心性がある。自分を誇ろうとする。神の栄光でなく、
自分の栄光を求める。アダムとエバが蛇から受けた誘惑が「あなたがたが神のよ
うになり」であり、「自分が」崇められ、「自分が」賞賛を受けたい。

御霊は、そんな肉の姿を照らし出し、気づかせて下さる。気づけたのは、御霊の
光によるのであり、光があるのは、神に出会った事であり、大きな祝福だ。成長
は、御霊による気づきから始まる。

・・・・・・・・・・・・・・・・
自分でも知らない心の内を、御霊が見せて下さる。心の奧にあるプライドや虚栄
心、高ぶりを見せられ、気づきを与えられる。明らかにされたものはみな、光と
あり、救いがある。信仰人生、御霊の光により、気づかせられ〃、成長させて下
さる。