2012年05月20日(日)

「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫ん でいる者の声です」ヨハネ1:23


バプテスマのヨハネが現われた時に、人々は「このヨハネがキリストか?」と思
った。しかし、ヨハネは、自分はキリストではないと、きっぱりと言いきった。
自分の役割は、人々が主を信じるための、道備えをする事であると。

「荒野で叫んでいる者の声」であり、その役割を果たす事によって、神の栄光を
現した。人は、自分に賞賛が向く時、どうだろう。人からの栄誉は大きな誘惑
であり、肉はその誘惑に勝つ事は難しい。そこにプライドや虚栄があり、自分が
栄光を奪ってしまう。

しかし、ヨハネは違っていた。へりくだった人物であり、人々の関心を、ただ〃
主に向けていた。弟子たちが、皆あの方のほうへ行くと、人気が主に移ることを
妬んだ時に「人は天から与えられるのでなければ、何も受ける事はできない」と
言った。

天とは人の手の及ばない所であり、神の主権と支配であり、ヨハネはそれを認め
て、応答して生きた。ヨハネは「荒野で叫ぶ者の声」として、自分の役割と使命
をしっかり受け止めていた。だから、ぶれなかった。

主を見つめ、ひたすら自分に与えられた御心を行なうこと、忠実に歩むこと、そ
こに喜びを見い出していた。ヨハネには大きな喜びがあった。なぜなら、「あの
方は盛んになり、私は衰えなければなりません」と、自分のために生きたのでは
なく、主のために生きたのだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・
人はそれぞれ天から与えられた分があり、ヨハネはそれに忠実に生き、自らの分
を果たした。揺らぐことがなかった。それぞれに与えられた分がある。どんなに
願っても、与えられないものもある。そこに主を認めて生きることに、真の幸せ
があり、心は満ち足りる。