2012年06月19日(火)


「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くかを知らないで、出て行きました」ヘブル11:8

アブラハムに「生まれ故郷、父の家を出て、示す地に行け」との、神からの示しが臨んだ。自らの生まれ故郷を離れ、父の家を出る事は、大変な決断のいる事だった。全く先が見えない中で、居心地の良い、平穏な、安定した自分の居場所を出ることは勇気が要っただろう。

又、どのような困難があるや知れず、一歩を踏み出すことの恐れ、不安、故郷を去ることの寂しさ、孤独感があったろう。しかし、アブラハムは、主がお告げになった通りに「出かけた」。聞くだけでなく、御声に従い、実際に、主からの御言葉を行動に移した。アブラハムの信仰であった。その結果、アブラハムは「信仰の父」と呼ばれ、ヘブル11章の信仰の人々に名を連ね、平安な老年を迎え、長寿を全うして死んだ。

「長寿を全う」とは、「満ち足りた生涯」であったということだ。あなたも、主から何かの新しい出発、前進の語りかけを受けているだろうか。御声を聞くなら、一歩を踏み出し従う事が大切だ。それより以前に、彼の父親テラもカナンの地を目指し、ウルから出たが、途中のカランで住みついてしまい、そこで一生を終えた。途中で止めてしまったのだ。

私達はどうだろう。主が大きな祝福へと導いておられるのに、ちゅうちょし、尻込みしているだろうか。居心地の良い今の場を手放せないでいるか。主は大きな喜びと祝福の地へ導こうとされている。主の御声に従おう。
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神の導きがあったなら最善と信じて従うべきだ。安全を確認し、害がないと納得してから出て行くなら信仰はいらない。ちゅうちょし尻込みをして、導きの声がかき消えた苦い経験はないだろうか。