2012年09月19日(水)

「悪人どもの道にはいるな。悪人たちの道を歩むな。それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ」箴言4:14


罪には一時の快楽がある。罪は楽しい。もし、罪が苦いものであれば、こんなにも罪の問題は起こらない。人は簡単に罪に陥ってしまう。罪は心地良く、甘い。サタンは私たちを誘惑し、惑わす。「食べるのに良く、目に慕わしく、賢くする・・いかにも好ましい」罪を素晴らしい、魅力的な、麗しいものに見せて欺く。

サタンの言葉を受け入れて行くと、そうしか見えなくなる。エバが蛇の「決して死なない」「神のようになり、善悪を知るようになる」一つ〃の言葉に耳を傾けると「そこで女が見ると、その木は」良いものに見えた。もう行動に移る事は時間の問題だった。「それで女はその実を取って食べ」た。

サタンは罪を良いものに見せる。罪は快適であり、欺かれていて気づかない。サタンの巧妙な策略だ。良いものに見せるので、御心をそれていながら気づかない。何の問題もなく、人生うまく行っていると、ハピーだと思っている。しかし、御言葉は、はっきりと言う。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになる。肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取ると。

これは原則であり、必ずそのようになる。御霊のために蒔くなら、御霊から永遠の命を刈り取る。とにかく神から離そう〃と、誘惑し、攻撃して来るサタンに心していよう。サタンに聞いてはならない。罪とわかっていて、戯れ、もて遊んではならない。自分のほうが飲み込まれてしまう。拒否し、避け、退けよう。
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苦しい罪なら近づかないが、自分にぴったりの魅力的な罪だから惹きつけられる。それは神から少しだけ離れてやってみたい自己実現だろうか。たいしたことないとのサタンの声をすぐに主に渡していこう。