2012年10月20日(土)

「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかっ た」出エジプト15:23



モーセを指導者として、神に導かれたイスラエルの民は、エジプト
を脱出した。奇跡により、紅海を渡り、荒野に入った。偉大な奇跡
を見て、喜びの叫びを上げ、賛美をした。3日間、荒野を進み、マ
ラに来た。その間、水は無く、マラの水に大喜びした事だろう。

しかし、そのマラの水は苦くて飲めなかった。民は失望落胆し、指
導者モーセにぶつけ、つぶやいた。私たちもどうだろう。自分の思
うようにならない時、いら立ち、人を責めて、不満をぶつける。不
満をぶつけられたモーセは、自分で対応せず、主に祈った。

私たちも目の前に障害があり、思い通りに進まない時、人を責める
のでなく、主に叫ぼう。モーセに一本の木が示され、それを投げ入
れると、水は甘くなった。一つの偶然も無く、まさに主がマラを通
された。

私たちも失望を経験し、困難を通る。その意味はどこにあるのか
「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を
守るかどうか、あなたの心の内にあるものを知るため」主は命令を
守るかどうか、心の内を明らかにするためと。

そして、一本の木は主の十字架であり、その赦しは、どんな苦い思
いをも、平安に変えてくれる。失望、憎しみ、妬み、敵対心・・苦い
ものを、主の十字架のもとへ持って行こう。主の苦しみと痛みを仰
ぐ時、十字架だけが、苦みを甘みに変えてくれる。
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どんな苦しみも、主の十字架は甘みに変えてくれる。人が愛せずに
苦しい時、十字架の赦しと主の助けにより、人を祝福する者に変え
られる。喜びと平安に満ちて、甘くなる。主に叫ぼう。奇跡のみわ
ざを経験する。