2013年01月20日(日)

「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼 を永久に取り戻すためであったのでしょう」ピレモン15



オネシモは、ピレモンの奴隷であった。主人のもとで盗みを働き逃
亡した。しかし、捕らえられ投獄、そこでパウロに出会う。パウロ
はオネシモの主人ピレモンを知っていた。オネシモは、パウロに導
かれ回心し、主イエスを信じた。

当時、逃亡奴隷は死刑であった。パウロは、オネシモが新生し変え
られた事を確認し、ピレモンに主に在る兄弟として、オネシモを受
け入れてくれるよう手紙を書いて頼んだ。オネシモは彼の名の通り、
無益な者が「有益な者」に変えられた。

私たちの人生も同様だ。様々な事態が生じ、時にはその先が見えず、
大きな不利益、マイナスにしか見えない事態が、「すべてのことを
働かせて益」とされる方により、大いなる祝福と豊かな結果へと変
えられる。

今、グチャグチャで、何が何だかわからない、「これが一体何にな
る?」としか思えない事が、必ず豊かな益へと導かれて行く。又、
パウロは摂理の信仰を持って、事態を見た。オネシモは主人を裏切
って逃亡した。が、それを信仰のメガネで見る時、オネシモを役立
つ者として、永久に取り戻すために一旦離されたのだと。

私たちも信仰に立って、すべての事柄に神を認め、摂理を認める時、
物事の見方が全く変えられる。失望落胆する事態に遭遇した時は、
神のご計画を認める時だ。今、失望していたら、摂理とご計画を見、
信仰的見方に立とう。
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神の摂理を認め、信仰のメガネをかけて、事態を見る時、どんなに
希望があるだろう。そこに神の愛があり、意図があり、ご計画があ
る。神は最善をして下さる。どんな中でも、主は良くして下さると
信じて行ける。