2013年03月20日(水)

「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎがきます」マタイ11:29

        
私たちはどうだろう。疲れていないだろうか。誠実に生きようとすれば、するほど、様々な疲れがのしかかってくる。対人関係か、仕事上の疲れか、経済問題の疲れか、今も重いものを負って、心がつぶれそうだろうか。そんな私たちに、主は、「わたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげます」と招いて下さっている。何と有難い事だろう。休ませて下さるとは。

更に、主のくびきを負って学ぶなら「たましいに安らぎが来る」と。私たちが一番欲しいのは、この「たましいの安らぎ」ではないだろうか。疲れ果てた時に、最も欲しいものは、たましいの安堵、いやしだ。この世には幾多の楽しみ、快楽がある。それは気を紛らわせてくれる。又、飲酒のように、一時深刻な状態を忘れさせてくれるものがある。しかしそれは、うわべだけのものであり、一瞬忘れさせるだけで、何の解決にもならない。問題はそのままで、快楽の後は、更に虚しさが増すばかりだ。

主は全く違うことを言われた。紛らわせたり逃げたりするのでなく、「わたしのくびきを負え」と。主のくびきは「負いやすく」「荷は軽い」と。主のくびきを負うとは、主に従って行くことだ。主と歩調を合わせて歩み、主と同じ視点で見て行く。目の前に与えられたものを受け入れ、負って行くなら、主から学んで行く事ができる。主から教えられて行く時に、たましいに平安が臨む。
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自分の経験や知恵で対処しようとすると問題が来る度に、その中で疲れ消耗する。主に結果を委ね、主に尋ね、主の方法で対処できるよう問題の中で主から学んで行きたい。