2013年04月19日(金)

「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしが・・与えようとしている地に行け」ヨシュア1:2 


            
新しいリーダーヨシュアと民の目の前に、とうとうと流れるヨルダン川が立ちはだかる。特に、この時期は、雪解け水や、春の雨で、一年中で最も増水していた。私たちの信仰人生にも、ヨルダン川が置かれている。今、目の前に、どうにもできない難問題が、立ちはだかっているだろうか。自分では何も、どうにもできない。経済的困窮だろうか。家庭や職場、近隣での対人関係の深刻な悩みだろうか。健康の問題、進路の問題だろうか。

先行きも見えず、恐れと不安でいっぱいだ。そんな中、リーダーのヨシュアは「あなたがたの身をきよめよ。主が不思議を行なわれるから」と言った。私たちにも、立ちはだかる問題を前にして、まず「身をきよめよ」と言われる。主との交わりの中で、御霊に心を探っていただいて、示される罪を悔い改めよう。頑なな心、自己中心、赦さない心、わかっていて従わない不従順・・告白して、心を整えていただこう。

祭司たちが契約の箱をかつぎ、先頭に立って渡るよう示されたが、その通りに従った時に、岸一杯に溢れたヨルダン川は、完全にせき止められた。民は全員渡った。私たちも、難しい状況の中で、身をきよめて、主の示しに従おう。その時、その問題のまっただ中にあって、主の不思議を経験する。生ける主が、共におられ、主こそ神であることを知る。
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渡るべきヨルダン川を前にして自分を見るならどうだろう。主を信じきれず無力に後退するか、自分を頼りに踏み出すだろうか。私たちの行く所にどこまでも主が共におられる事はなんと感謝だろう。今、主が示される事はなにか、いつも耳を傾けていよう。