2013年07月20日(土)

「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しの けてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪 い取ってしまった」創世記27:36



イサクは、長子エサウに祝福を与えようと、料理を持って来るよう
にと言った。それを聞いた、母リベカは、ヤコブにその祝福を横取
りしようと画策し、料理を作り、視力の衰えているイサクをだまし
た。よく見えないイサクは、ヤコブをエサウだと思い、祝福を与え
た。

そこにエサウが戻り、事の次第を知った。イサクは激しく身震いし、
エサウは大声で泣き叫んだ。企みを知ったエサウは恨みと怒りとで、
ヤコブを殺そうとした。それでヤコブは家におれず、叔父のもとに
身を寄せることになった。

家族が傷つけ合い、皆が不幸だ。どこに問題があったのか。イサク
は「兄が弟に仕える」と、神の御心が示されているに関わらず、自
らの思いでエサウを偏愛した。リベカもヤコブを溺愛し、神を信じ、
神ご自身がそのようにされる事を待ち望むのでなく、自らの肉の力
で祝福を横取りした。

ヤコブも神の計画を信じ、委ねるのではなく、父をだまし、母と共
謀し、自力で奪い取った。夫婦の間もおかしくて、機能不全家庭だ。
エサウは長子の権利を豆の煮物と引き換えた。「長子の権利を売っ
た俗悪な者」とあり、彼は長子の権利を軽んじた。皆が神を仰ぎ、
神に従うのではなく、自分の思いで動き、招いた結果だった。

主は大きなご計画の中で、これらすべてを益として行って下さった
が、ここで学ぶ事ができる。自分の思いで動くのでなく、主の主権
を認めて、へりくだり、主を待ち望み、委ねて歩む事がいかに大切
であるかを。

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自分の力で、自分の欲しいものを手に入れ、欲望を満たそうとする。
しかしそこに平安も喜びも無く、秩序は壊れ、混乱して行く。肉で
なく、主の御声を聞き、御霊のほうに従って行く時、自分にも周囲
にも祝福とされ、神の栄光が現わされて行く。