2013年08月20日(火)

「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう・・ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実を持って愛そう・・」Tヨハネ3:16



ある女性、若い時に結婚し、夫の転勤で海外へ。言葉もよくわからず、生活習慣も違い、色々な事をどうしてよいかわからず、途方に暮れていた。そんな時、クリスチャンたちが助けてくれた。時間と労力を献げて、生活に必要な、煩雑な事柄を教えてくれて、親身になり手伝ってくれた。その親切が身にしみた。

神を求める心など全く無かったが、親切が真に有難く、そのお礼のつもりで教会へ行った。すると、驚いた事に、語られる御言葉が、ぐいぐい心に入って来た。そして主を信じた。今では高齢の喜び溢れるクリスチャンだ。元はと言えば、周囲のクリスチャンの親切のゆえだった。

ある婦人は、夫の海外転勤が決まり、英語を少しでも身につけたかった。それで、クリスチャンではなかったが、教えてもらいたくて、すぐ近くの宣教師宅を訪ねた。すると、宣教師夫妻は、暖かく応対してくれた。多忙に関わらず、貴重な時間を割いて、親切に教えてくれた。その交わりの中で、福音を聞き、主を信じるに至った。

主は行ないと真実を用いられる。ことばと口先だけでない対応には、必ず時間と労力という犠牲が必要だ。犠牲無くして、献げることはできない。祭司もレビ人も関わりたくなくて、倒れた旅人の反対側を通り過ぎた。今、誰かのために犠牲を払うよう御霊から示されているだろうか。行ないと真実を持って愛して行こう。
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関わられたくないのでは・・との思いが来て、勇気をもって声をかけられない人がいる。よく祈り主が示されたことを実行したい。御言葉の知識だけがあっても具体的に愛を現すことをしなければ力ないクリスチャンだ。