2014年06月19日(木)

「わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる」箴言3:11


時々私たちは、全然、祝福とは思えない状況にぶち当たる。それは、
苦しい対人関係であるかも知れない。人から批判され、攻撃され、
傷ついて、辛くてたまらない。又、仕事上の失敗や、又、成果が思
うように上がらずに悩むかも知れない。リストラや倒産の経済的苦
境、又、病気やけがかも知れない。祝福どころか、痛くて、苦しく
て、しんどくて、どこが祝福?と思う。

しかし、「主の懲らしめ」「その叱責」とあり、懲らしめと叱責は、
主からのものだ。偶然来ているのでは無い。運命でもない。サタン
にほんろうされているのでもない。主の訓練だ。そして、愛する者
を叱るのは、主の愛から出ている。私たちが「愛」という言葉から
連想する時、ほんわかとした暖かいもの、心地良いもの、喜ばしい
もの、平安なもの、心穏やかで落ち着いたもの、を思い浮かべるの
で、苦しく、痛く、辛く、悲しい試練と愛が合致しない。リンクし
ない。愛とは暖かい心地良いものだと思っている。正反対なので、
混乱する。

しかし、肉の親のしつけは愛であるように、更に霊の親は、私たち
の益のため、聖くしようと訓練される。「懲らしめをないがしろに
するな。いとうな」とある。私たちはどうだろう。今、目の前の試
みを、痛いので受け止めずに、ないがしろにしていないか。嫌がっ
ていないか。受け止められるよう祈ろう。必ず一段階成長できる。
------------
信仰生活、試練や思い通りに成らないことがあって当たり前と知っ
ているが、日々のストレスや疲れに慣れてしまい、与えられている
訓練の時を、ただ消耗し流してしまうことがある。痛みや疲れた思
いをその都度祈り、そこにある大きな主のご計画を知って行きたい。