2014年08月19日(火)

「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです」ガラテヤ6:5



「互いの重荷を負い合いなさい」とあり、一人では負い切れない非
常に重い荷がある時、助けてもらう事、又、人を助ける事は必要で
あり、大切だ。相互に助け合う事が必要だ。又、同時に「人にはお
のおの、負うべき自分自身の重荷がある」。

重荷を負い合う事が必要だが、負って上げる事のできない、又、人
に負って貰うことのできない自分の重荷がある。それはその人自身
にしか負えない。自分の責任を放ったまま、人の世話ばかりしてい
るのは間違っている。

神は秩序をもって導かれる。自分の責任と人の責任をきちんと区別
する事は大切だ。その人自身に負うように与えられている荷は、代
わって負うべきではない。人の重荷を代わって負っても何の解決に
もならない。

ある主婦のもとに、母親が毎日愚痴を長電話して来た。何とか受け
入れようと我慢し応じていたが、自分の家庭の事や家事にも支障を
きたし、それに疲れ果ててしまっていた。懸命に受け入れようとし
ても、母親は依存するばかりで何一つ変わらず、更に文句ざんまい
だ。

自分に与えられる責任を、果たす事にまで支障が出るなら、断るべ
きだ。人に時間や労力を我慢して引き受け続けて、自分が疲れて倒
れてしまうのは、みこころではない。それは怒りとなり、いつしか
憎しみに増幅してしまう。又、自分が負うべき事を人に依存するの
も間違っている。それらに線引きが必要だ。
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祈ることもしないで不用意に人の重荷に手を貸すならば、私たちは
自分の負うべき荷を人に任せるようになって行く。御霊の導きか、
肉の感情か自分自身をよく吟味してみよう。