2015年01月20日(火)

「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています」使徒27:24




パウロはもう航海は危険だと主張したが、皆により、クレテの港ま
で行って冬を過ごす事になった。そのため出帆したところ、何日も
の激しい暴風に巻き込まれ、船はほんろうされた。積み荷を捨て、
船具まで捨てた。太陽も星も見えない日々が続き、身の危険を感じ、
事態は絶望的であった。最後の望みも断たれようとしていた。

しかしパウロは確信もって「いのちを失う者はひとりもありません。
失われるのは船だけです」と告げた。神は、クリスチャン人生、失
うものは何もないとは言っていない。ヤコブも「私も、失うときに
は失うのだ」と言っている。私達は信仰生活で、様々失うものがあ
るだろう。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」
だ。

しかし、様々な時に失う事はあっても、必ず私達は御手の中に堅く
守られ、クリスチャン人生を全うできる。船を失う事があるという
事実を覚えよう。だが、信仰人生は必ず守られ、確実に安全な島に
打ち上げられることも覚えよう。得る事は喜びで嬉しい事だが、失
う事は辛く、痛手だ。しかし、振り返った時、あの時の、この時の
損失、それによって自分自身が練り鍛えられ、きよめられ、信仰が
成長させられ、今の自分があるのではないだろうか。

あの損失が無ければ、今の自分は無い。あの取り扱いによって、自
分は成長できた。信仰人生、損失は必ず通るが、思いを遙かに越え
た大きな祝福に至る。船を失うことがあるが、豊かな霊的祝福が与
えられる。
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あの時、この時、一切の中に主はおられ失う時も主の許しの中だ。
失うまい、自分で得ようと労するが御心だけが成されていく。失う
ことを覚えて、今を歩んで行きたい。