2015年04月19日(日)

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば・・悪 人呼ばわりしていても、そのりっぱな行ないを見て、おとずれの日 に神をほめたたえるようになります」Tペテロ2:12



日本のクリスチャンは、まさしく「異邦人の中にあって」生きてい
る。ノンクリスチャンは私たちの生き方を見ていないようで、見て
いて、しっかり観察している。主は「立派に振る舞いなさい」と言
われる。偶像を礼拝する人々を決して侮辱してはいけない。信仰は
常識を超える事はあるが、決して主は非常識なお方ではない。

礼儀に反する事をせず、信仰者として国家の法律を、社会マナーを
守って行く必要がある。周囲の人々は聖書は読まないが、クリスチ
ャンという人々がどんな生き方をするのか、その生き様を通して、
聖書を知る。

「御霊の実は、愛、喜び、平安・・」、世の人々が、喉から手が出る
ほど欲しいものが、愛、喜び、平安だ。愛し、愛されて生きたい。
それが得られないので、他のもので心を満たそうとする。外側から
の刺激による喜びしか、世にはない。何か嬉しい事があるから喜べ
る。しかし、私たちの喜びは、外側に何も無くとも、内側から湧き
上がる。御霊の喜びだ。

恐れ、不安、思い煩いの中にいる世の人々にとって、平安は何と魅
力的だろう。主に委ねて、主を第一として生きる時、この平安に満
たされる。それらは内側から溢れて来る。私たちに、弱さや失敗は
多々あっても、何かが違うと人々に思わしめる。何かここに真実が
あるのではないかと。

様々な事で悪人呼ばわりされても、私たちの立派な振る舞いを見て、
神を誉め称えるようになる、と。辛い事もあるが、従って行こう。
報いて下さる。

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この世では信仰者は、偶像のことや、価値観の違いで、様々悲しみ
や苦しみに会う。仲間はずれや悪口にも会う。わかってもらえない。
だが「立派に振る舞いなさい」と。「難しいです、できません」と
まずあるがまま祈って行く時に、主が「振る舞い」を与えて下さる。