2015年05月20日(水)

「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」ヘブル4:16 



主を信じた時に新しい性質が与えられ、生まれつきの古い性質と絶
えずあらがう。常に霊と肉の戦いの中にある。天に帰るまで、私た
ちに肉の弱さがある事を主はご存じだ。肉体は、疲れ果てるし、病
気にもなる。主は肉体をとり地上に来られたので、この事を理解し
て下さっている。

主は、あなたの弱さをご存じだ。主のゆえに、いつでも恵みの御坐
に行ける。私達は元気な時は、主のためにどんどん働き、心地良く、
主に近いと感じる。逆に弱さを覚え、無力の時は、主を遠く感じる
事が無いだろうか。「役に立たない者はだめだ」サタンの声が聞こ
えて来る。

罪を犯すと「同じ失敗ばかりしている」「成長がない、自分はだめ
だ」その声に乗ると、ますます主から離れる。御言葉はどう言って
いるだろう。「あわれみを受け、恵みをいただいて、大胆に恵みの
御座に近づこうではありませんか」恵みの御坐に近づける根拠は
「あわれみを受け」「恵みをいただいて」とあり、「あわれみ」と
「恵み」だ。

自分の功績にはいっさいよらない。行ないによらない。主からの一
方的な愛顧だ。主のあわれみと恵みがあるので、どんなに破れ果て
た状態でも、御前に行ける。そしてそこは恵みの御座だ。あるがま
まの惨めな、破れた状態、それをそのまま持って行ける。心の葛藤
をそのまま打ち明けられる場だ。主は助けて下さる。
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自分の状況によって信仰が強く思えることもまた肉の弱さだ。主は
決して状況によらず、私たちの傍におられる。いつでもまっすぐ、
主に近づいていこう。