2015年07月19日(日)

「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべ てに主は近くあられる」詩編145:10


ある人が、友人と一緒に浪人生活をして、翌年の受験の結果、友人
は合格、自分は不合格だった。がっくり落ち込み、心は真っ暗だっ
た。浪人生活を更にもう1年重ねると思うと、心は重く沈んだ。し
ばらくは、ぼおっ〜として、起き上がる力も無かった。そして友人
が羨ましくてならず、お祝いなど言える心の状態でない。とてもじ
ゃないが、喜ぶ者と一緒になど喜べない。

でも、それでよいはずもなく、その事も心は苦しく辛く、ついに
「神様、出来ません。でも助けて下さい」と叫んだ。すると不思議
に、今まであんなに重く、苦しかった心が何となく変わり、何だか
落ち着いて来て、一言だけでもお祝いを言おうと思えた。そう思え
た事が、心が変わった事が自分でも不思議だった。一行の短いお祝
いメールを送る事ができた。

すると相手が驚いて、自分からの、そのお祝いが特別に嬉しかった
と、ことのほか喜んでくれた。相手は、心に強く感じるものがあり、
証しになったようだった。ああ、主に従って良かったと、心から思
えた。そしてその翌年、自分も合格が与えられた。喜ぶ者と一緒に
喜べないと、落ち込んで、暗くなるだけでなく、主に向かおう。

諦めるのでなく、ごまかすのでなく、自分のありのままで、主に向
かおう。一緒に喜べない事を認めて、主に頼る時に、変えられて行
く。信仰生活の様々な問題、愛せない事、受け入れられない状況・・
自らの心を認めて「愛せません」「受け入れられません」と主に向
かおう。そうする時、主が引き受け、導いて下さる。

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「敵を愛すること、赦すこと、受け入れること」等、こういう事は
自分の力ではできない。懲りずに何度もやってみるが不可能だ。
「出来ません」「実はしたくない者です」と認める時に、初めて主
が働かれ、事態が動いて行く。主からの助けが来る。