2015年10月20日(火)

「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい」マタイ11:4



バプテスマのヨハネが、ヘロデ王の法に反する行為を、はっきりと
間違っていると言明した結果、投獄された。ヨハネは正しい事をし
た。ヨハネの投獄は理不尽であり、何の悪い事もしていない。神は
義なる方、正しい方だ。ヨハネは神の御前に誠実に歩んだのであっ
て、主が、何らかの対処をして下さるはずと思っていただろうか。

しかし、投獄後、日が過ぎても、何の気配も、音沙汰もない。どう
なっているのか。正しい事をされるのではないのか。イスラエルの
王国を打ち立てられ、天下を取られるのではないのか。獄中でヨハ
ネの思いは、いかばかりであったろう。そこで弟子たちに「おいで
になるはずの方は、あなたですか。それとも別の方〜」と尋ねさせ
た。

主はその時に、弟子たちに「自分の聞いたり見たりしていることを
報告せよ」、つまり、目の前の「事実」を告げるように言われた。
「盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ〜」これは、メ
シヤが来る時の預言だ。救い主の証拠だ。ヨハネが自分でわからな
い限り、わからない。つまり人にどんなに説得されても、自分で受
け入れようとしない限り、わからない。

事実を知り、自分で御言葉を真剣に受け止め、真摯に向き合う時に、
御霊の助けにより真理がわかるようにされる。私たちも、自分の先
入観や自分の判断を退けて、御言葉に向かう時、正しく神が見えて、
御心がはっきり見えて来る。目の前のこの事に神を見、過去のあの
事にも神を見い出す。
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聖書を通し、また礼拝メッセージなどで、いつでも神を知る機会が
与えられている。新しく神を知るために毎日御言葉に向き合ってい
るつもりでいても、ちゃんと神を見出してるだろうか。