2015年11月19日(木)

「妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」使徒5:2 



アナニヤとサッピラが持ち物を売り、一部を取りのけ、使徒たちの
もとに持って来た。しかし、ペテロはそれを「企み」だと言った。
「サタンに心を奪われ、聖霊を欺いた」と。「妻も承知のうえで」
とあり、つい魔が差した、でき心ではなく、夫婦共謀の確信犯だっ
た。その前にバルナバが畑を売り、皆の賞賛を受けたのを見て、自
分達もその賞賛を求めた。

だがバルナバや献げた人々には「信仰」があった。全部献げた後、
もし、働けなくなったら?その時は、主が、必ず必要を与えて下さ
ると信じていた。だから献げた。だが、アナニヤとサッピラにはそ
の信仰が無かった。恐れと不安ですべてを献げる事ができなかった。
しかし、全部献げなくても構わない。一部なら一部で良い。一部で
すと献げるなら、主はそれを喜んで受け取って下さる。

全部の「振り」をしない事だ。信仰深い振り、霊的な振り、それが
欺きとなる。アナニヤとサッピラは、主を信じながらも、自分の思
いと自分の力で人生を歩んでいた。だから目に見えない神ではなく、
目に見える人の評価や評判を求めた。人に認められたい。だから信
仰深い振りをするよう誘惑される。

「献げられない」「その後が不安」「人に認められたい」と主の前
に正直に認めよう。その時、主に確かに触れる。そこに主が働かれ
るので、自分が変えられて行く。
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信仰に自分の企みも少し混ぜて人前に差し出す誘惑はいつも来る。
振りに欺かれているのは、人ではなく自分だ。主の前に正直な自分
を認め、主に受け入れられていることの平安をまず受け取ろう。