2016年02月18日(木)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」詩編119:71


ジグソーパズルがある。一つ一つのピースは、最初バラバラだが、
それをそれぞれの埋まるべき場所に埋めて行くと、素晴らしい作品
が完成する。一つ一つのピースだけを見ると、わけがわからない。
しかし、それぞれの場所にふさわしくはめ込んで行くと、見事な絵
が出来上がる。一つとして無駄なピースはない。一つ欠けても完成
しない。完成のために、全ピースが必要だ。

同様に、私達の日常に起こる一つ一つの出来事も、主にあって、一
つも無駄ななものは無い。「なぜ?」「どうして、こんな事が?」
と、目の前の事に、戸惑う事も多い。理解できず、わけがわからな
い。しかし、それら一つ一つの出来事に、神の計画と意図がある。
ピースが埋まって、少しづつ全体像が見えて来ると、どんな絵かが、
明らかになるように、時の経過と共に、主のお心が見えて来る。

一つ一つ出来事が、つなぎ合わされ、ピタリとはまって解き明かさ
れる事を経験する。全く理解できなかった事が、一つ一つがつなり、
主の言わんとしておられる事が見えて来る。一つとして無駄な出来
事は無い。神に無駄は一つも無い。今、試練の中だろうか。今、わ
からないが、それは主の御手から来ている。

一羽の雀さえ父のお許しなしには地に落ちない。御手の中だ。神の
なさる事は、時にかなって美しい。今はわからないが、信仰によっ
て受け入れよう。それがベストだったと、後でわかる。必ず感謝で
きるようになる。
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先の見えない試練であっても明日に希望を持てるということは何と
幸いなことだろう。試練の中でこそ神の御声も導きもさやかになる。
そして全ては益とされ必ず、感謝で終わる。