2016年04月19日(火)

「主に私は身を避ける」詩編11:1


ダビデは、彼に嫉妬したサウル王から命をつけ狙われ、実子アブシ
ャロムからも歯向かわれ、悲惨な命の危機にあった。その時に、
「どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか」の通り、友人
たちが忠告してくれた。「鳥のように、山に飛んで行け」と。悪者
どもが弓を張り、心の直ぐな人を射ぬこうとしていると。だから逃
げるようにと。

いつ殺されるかわからない、日々死と隣り合わせの状況だった。行
き詰まって、絶体絶命のどうにもならない状況だった。とにかくダ
ビデは逃げた。あれほど命を狙われ続けた、サウル王を殺害するチ
ャンスもあったが、神から油注がれた方をどうこう出来ないと、決
して手を出さなかった。神に委ねたのだった。

息子アブシャロムが攻撃して来た時も、息子に反撃せず、ダビデの
した事はひたすら逃げることだった。ダビデは、苦しみ、痛み、辛
さ、悲しみ、失意、落胆、すべてを主に持って行った。泣き叫び、
訴え、嘆き、心の内を神に吐き出した。「主に私は身を避ける」、
逃げるのだが、主のもとに逃げたのだ。

主に身を避けると、「直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る」となり、主に
逃げると、御顔を仰ぎ見ることになる。私たちも苦しみ、痛み、嘆
きがある時には、主に逃げ込もう。そしてことごとく主に気持ちを
訴え、告げて行こう。その時、御顔を仰ぎ見るようにされる。何と
いう恵みだろう。
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主に身を避けまかせ切ったなら、先のことは解らなくても主が平安
をくださる。泣きながら山を登ったダビデのように、不安、悲しみ
辛さを主に叫ぼう。主の下こそまことの慰めがある。