2016年06月19日(日)

「彼女は・・男の子を産み「今度は主をほめたたえよう」と言った。 それゆえ、その子を彼女はユダと名づけた」創世記19:35



レアという女性は、ずっと妹ラケルとの比較に生きてきた。ヤコ
ブとの結婚を得たが、しかしヤコブが愛していたのはラケルだった。
レアはどんなに辛かったろう。ますます劣等感が募る。そんなレア
を主は憐れまれた。胎を開かれ、レアは子供を産んだ。「ルベン」
と名づけ、「主が悩みをご覧になった」と言った。

子供により、今こそ夫は自分を愛するだろうと思った。しかしそう
はならなかった。第二子のシメオンの出産は「主は私が嫌われてい
るのを聞かれて」とレアが神に祈った結果だった。今度こそは愛し
てくれるだろうと思ったが、尚もそうはならなかった。次も夫の愛
を期待したが、裏切られた。そして次々子供を産み、最後はユダ
「主をほめたたえよう」と名づけた。

そんな中で、レアは変えられていた。これまでラケルと比較で劣等
感にさいなまれ、また夫の愛が得られない事で苦しんでいた。しか
し主を見上げた時に心が変えられた。夫の愛を求めるのでなく、た
だ主をほめたたえた。女奴隷が産んだ時は、アシュルと名づけ、レアは
「なんと幸せなこと。女たちは、私を幸せ者と呼ぶ・・」と言った。

レアは劣等感の中で生きて来て、又、どんなに求めても夫の愛を得
られない境遇にいた。満たされない、不幸な、寂しい状況だ。そん
な中で、レアは目を神に向け、目を神の愛に、憐れみに向けて行っ
た。そんなレアに、主は目を留め、不幸な境遇を通してご自身に近
づけられた。同様に、私たちも悩み、苦しみによって、神に近づけ
られる。その中で、神の愛、あわれみを体験する。悩みは、私たち
を神に近づける。

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境遇、状況が、自分の思い通りでなく、それをどうにも動かす事も
出来ない中で、苦しみと辛さの中で、目が上へと向いて行った。主
により、しっかりと受け止められ、主からの慰めと励ましを受け、
心が慰めに満たされて行った。状況を見ている目を上に向けよう。