2016年10月20日(木)

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」ピリピ2:14



神は、私たちの心の内に働いて、ああしよう、こうしようとの志を
与えられる。それは御心にかなった事だ。そして、神がそれを行わ
せて下さる。つまり、それを成し遂げられるのは、自分ではなく、
神であると。勿論、実際、自分自身が行なうのであるが、それを成
し遂げる力は、神から来る。

だから、もし主から何かの示しを受けるなら、自分には能力がない、
知恵がない、時間がない、財がない・・と悩む必要はない。神が語
られた事は、神が実現する力を下さる。例えば、水泳を習得する時、
泳ぎ方のレクチャーを受け、ノウハウを学び、それだけで、泳げる
ようになるのではない。実際にそれを用いて練習しなければ不可能
だ。練習を積み重ねて行く時、いつか泳げるようになる。

祈りは大切だが、ただ祈っているだけでは、習得できない。祈りと、
地道な実際の練習が必要だ。同様に、私たちも、何かを語られ、示
された時には、祈りと共に、実行が大切だ。導きを受けているが、
一歩踏み出す勇気がなく、不安と恐れがあり、いつまでも祈り状態
だろうか。祈りが隠れみのだろうか。

そうであれば、祈りの座から立ち上がり、一歩踏み出そう。前に進
もう。その時、いのちの言葉をしっかり握って、彼らの間で世の光
として輝くことができる。証しとされて行く。そして自分の努力し
たことがむだでなく、苦労したことも無駄でなかったことが、かの
日に誇れる。何と幸いだろう。
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成し遂げてくださるのは神であることを忘れると、足りない自分ば
かりが見えて来る。神が用いようと志しをくださったのだから必ず
よき証ができる。明け渡しあずかって行こう。