2017年01月20日(金) 「王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった」マタイ22:3
「王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった」マタイ22:3
主が、祭司長や長老たちに、たとえを持って話された。王が、王子 の結婚披露宴に人々を招く話だ。まず招待客を呼びにやると、客た ちは来なかった。再度、別のしもべを送るが、客は皆、自分の事に 忙しく、断っただけでなく、しもべ達を殺害した。客は、宗教指導 者達でありイスラエルだ。 王は怒って兵を遣わし、彼らを殺し町を焼き払った。それで次に、 大通りに出て、出会った者を誰でも招くようにと。救いがイスラエ ルから異邦人へと及んだ。すると会場は満員になった。道行く人が 礼服を持っているはずもなく、礼服は王により用意されていた。 しかし一人だけ礼服を着ない者がいた。王はその事を問うが、答え ない。その者は暗闇に追い出された。礼服は、主の十字架による救 いの衣、義の衣だ。それが無代価で提供されているのに、拒むなら どうしようもない。私たちもどうだろう。 主を求め、従って行くよりも「彼らは気にもかけず、畑に、商売に 行き」とあるように、自分のしたい事を第一にし、自分の思い通り に生きて行く。主の判断や、御言葉の指針でなく、自分の感情、自 分の思いで判断し、選択して行く。主の御心など気にもかけない。 すると生活が、肉に、この世に流されてしまい、御霊の喜びや平安 から遠ざかってしまう。「彼らは気にもかけず」、好きな事がした い肉に、流されてしまっていないか。真の心を満たす喜びは、主の 御心に従うことにある。その喜びを今年経験して行こう。 -------------- すでに主を身に着け、いつでも主と交わり御霊様の声を聞く恵みに ありがら、つい目の前のことを優先してしまう。導きや招きの声が わからなくなっていないだろうか。主の声を聞き分け応えていこう。