2017年02月17日(金) 「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く」イザヤ30:21
「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く」イザヤ30:21
その前節に「主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っ ても、あなたの教師はもう隠れることなく・・」とある。ユダは、 攻略して来るアッシリヤの包囲によって、食料が乏しい状態に陥っ た。困窮の非常事態にあり、今、必要なのは、まず食料と思われる。 しかし何よりも第一に、神の言葉を聞いて行く時に、必ず神の助け と守りがあることに目が向いて行く。「幸いなことよ。主を待ち望 むすべての者は」とあり、私たちが主を待ち望むなら、後ろから主 のことばを聞くようになると。私たちも信仰生活で、主は「これが 道だ。これに歩め」と、導くと言っている。 よくよく祈って行く時、御言葉や、御霊の語りかけや、環境を通し て、歩むべき道が示されて行く。だが、急いている時はどうだろう。 祈っている場合ではない、とにかくまず目の前の事をしてしまわな ければ、との強い思いが来る。目の前の事が気になって仕方なく、 済まさなければ気が済まず、身体がどんどん動いてしまう。主が語 ろうとして下さっているのに、目の前の事しか見えていない。 まず聞いて導きを求めよう。又、私たちの耳に、聞こえて来るのは、 神の声だけではない。神の御声、サタンの声、自分や他人の、人の 声がある。そして神の御声を聞いた時にも、サタンが来て、「本当 に?」と、神の御声かとの疑いを起こさせる。紛らわしくややこし い。しかし、求める心に、必ず導きが与えられる。「これに歩め」 と御声をかけて導かれる。 ------------ 肉の声もサタンの声も、落ち着いている場合ではないと言う。瞬間 に誘導される声こそ「本当に?」と疑うことが大切だ。主の御声を 聞き分けられるよう、いつも識別を祈り、御言葉の身近にいよう。