2017年03月20日(月)

「また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった」マタイ13:7


主と出会うまで、私達の心は、この世の見えるものに支配され、見
えるもので心を満たして来た。見えないものに目を注ぐことなどな
かった。見えるものとは、富や、人から来るものだ。人から評価さ
れたい、認められ、賞賛されたい、人に良く思われたい。それがす
べてなので、一心にその事を求めて、生きて来た。

絶えず人にどう思われるかが不安で、心を配る。それがこの世の心
づかいだ。なぜ私たちは、そんなにも富や人からの評価を求めるの
だろう。罪が入り、神との交わりが断たれた結果、被造物なので、
何かに頼らずには生きて行けない。神無しで生きると、人は何かに
必ず頼っている。人でなければ自分に頼っている。

人は目に見える富にしがみつく。富が人生を保障してくれると錯覚
する。富が夢を叶え、幸せをもたらしてくれると勘違いする。又、
神との交わりが断たれた結果、人からの愛を求めるようになり、人
の好意、人の賞賛を求める。それにより心を満たそうとする。「み
ことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふ
さぐため、実を結ばない・・」

御言葉が根づかないのは、世の心づかいと富の惑わしが、御言葉を
ふさぐからだと言っている。あなたの心の奥はどうだろう。富によ
って、人から良く思われることによって安心を得ようとしているだ
ろうか。まずそのいばらが、自分の内にあることに気づく事から始
まる。主は取り扱い、いばらを抜き、豊かな実を結ぶように助けて
下さる。
-----------
見えるものにすがっていた所から御言葉を信仰を持って聞く生活へ
と変えられたが、見えるところは強くいばらとの戦い、葛藤は続く。
気づいたらいばらを主に渡し豊かな結実の時を見つめていよう。