2002年07月20日(土) 「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中私の思いとなっています」(詩篇119:97)
「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中私の思いとなっています」(詩篇119:97)
あなたの朝のデボーションの後も、神の 御言葉の黙想を止めてはならない。御 言葉を一日中携える事によって、神の 恵みを受け続けることができる。一日の 生活の折々に朝の御言葉を思い浮かべ るのだ。主婦達は料理や家事をしながら 御言葉を黙想する。働く人々は、職場で 昼休みに昼食後の時間を御言葉の黙想 に当てた。学生は登下校時の間に神を 思った。車の中に聖書の分冊を入れて おくことができる。一日を御言葉を思い ながら生きることだ。詩篇記者は神の 御言葉を愛した。読んでは忘れるので なく、一日中、御言葉に思いを馳せて いた。夜も昼も神の言葉を口ずさんで いた。神の言葉がいつも私達の心に あるなら、私達は守られる。従いやす くなる。サタンから守られる。御言葉は 力であり命だ。この世の凄まじい勢力 と戦い、誘惑と戦うために、御霊に 満たされた生活のために、御言葉は 力。