2017年09月19日(火)

「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ」マタイ13:8


御言葉は種で、土地は私たちの心だ。同じように神の言葉を聞くも、
全く益を受けない人々がいる。それは心の問題だと言っている。右
から左に抜ける、心に留めないままに聞く。特に関心も持たず、本
音では自分とは無関係だと思っている。傍観者的態度で聞く。他人
事だ。

はなから従う気も無く、従おうと思っていない。それなら悪魔が種
を奪うので、聞かなかった事と同じだ。心に何の跡も残さない。又、
岩地に落ちるとは、聞く時は、感情的に聞くので、主の十字架に深
く感動し、涙を流す。しかし心の中には、自我という強固な岩があ
って、御言葉が根ざす事を邪魔する。ガチガチの自我だ。それで、
信仰ゆえの迫害や、試練が来ると根が無いので、すぐに枯れてしま
う。

御言葉を涙して感情的に聞くだけでは、根ざす事ができない。御言
葉に従い、御言葉を行って行くことが大切だ。その時に岩である自
我が砕かれて行く。又、いばらは、御言葉を塞いでしまう。せっか
く伸びようとする芽を、塞いで枯らす。世の楽しみ、様々な自分で
良いと思う計画は、せっかく芽生えた信仰をふさぐ。

心で握っているもの、密かに愛する偶像は、神から私たちを離して
しまう。優先順位の問題だ。何が第一になっているだろう。自分は
大丈夫と思っているが、いつしか一番大切なものを見失って行く。
自らの状態をよく点検する事は大切だ。実を結ぶかどうかが、聞き
方にかかっている。
--------------
自分はどうだろう。御言葉を頭で信じて従っているつもりだろうか、
それとも出来ないと右から左に流しているか。従えない弱さのまま
で主に行き一歩踏み出してみよう。