2017年12月20日(水)

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」マタイ6:12




頭では、人を赦すべきとわかっているが、なかなか出来ない。ある
人が、悪口を言われている事が、巡り巡って入って来た。それがそ
の相手は、面と向かって話す時には、良い顔をするのに、陰で悪口
を言われている事に、ひどく腹が立った。怒りが湧き、赦せない思
いでいっぱいになった。それが、祈りの時に、祈れなくなってしま
った。

「私たちも、負い目のある人たちを赦しました」との御言葉に迫ら
れ、先に進めなくなった。赦せない思いがある所には、必ず怒りが
ある。相手を赦せない、怒り、憎しみがある事を示され、苦しくな
った。だが、思えば思うほど腹が立って、絶対に赦したくない。そ
れなら、自分の負いめも赦されないことになってしまう。悶々状態
だ。

とにかくいつも学ぶように、まず祈りに持って行こうと、この悶々
状態を、あるがまま主に告げて行った。赦したくない、しかしこの
ままで良いはずはない。助けて下さいと祈り続けていた。すると、
御霊により、今までの学びを思い起こさせられた。皆、弱さがあり、
罪人であり、完全な人などいないこと。赦しは、意志による選択で
あること。

選択しようとするなら、御霊の助けが臨むこと。赦せない思いに縛
られてしまい、神の御心を行なう事ができなくなってしまう事・・、
心が少しづつ落ち着いてきた。祈っていると、不思議に心が変えら
れて行く事を経験した。長い時間を要する事があるかも知れない。
しかしとにかく祈り続けよう。必ず導かれて行く。
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赦したいと祈るなら必ず御霊の助けが臨む。赦したいと祈れないこ
とが問題だ。自分には出来なくても主が助けてくださる。赦せない
心を主に渡そう。