2018年01月20日(土)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたがは律法の下に はいません」ガラテヤ5:18



日々の生活で経験するが、御霊に導かれて、御霊の支配の下で生き
る時、私たちは平安で、喜びがあり、感謝がある。しかし、律法の
下で、肉に従って生きるなら、途端に喜びも平安も無く、辛く苦し
く窮屈になる。「〜ねばならない」に陥って、「今のままでは、だ
めだ」「もっと頑張らねば」、心は焦りとイラ立ち。平安も失せて、
心は苦しいばかりだ。

重くふさがれるようだ。あの一タラントのしもべのように、常に神
に要求されているように感じる。要求されるばかりで、苦しい。神
がひどい、恐い方で、蒔かないところから、刈り取る非常に厳しい
方になってしまう。そこには感動も喜びも無い。

今、どうだろう。辛い信仰生活だろうか。そうであるなら御霊によ
く心探って頂こう。辛いなら、自分の力で頑張っている。自分でし
ているなら、必ず苦しい。例えば、妬みや憎しみ、怒りが湧く時、
これは良くない事と、自力で心の奧に抑え込むだろうか。抑え込ん
だものは、無くなるのでなく、押し込んでいるだけで、ずっとそこ
にある。更に膿んでただれる。そしていつかオーバーすると爆発す
る。

この時に、抑え込まずに「腹が立ちます、妬んで、憎んでいます」
と一つ一つ、人に言えない思いを、主に告げる事が大切だ。言い訳
せず、ごまかさず、主の御前に認めて、言い表して行くことだ。そ
うすると、御霊は悔い改めに導き、平安へと導いて下さる。絶えず
主を呼び、言い表わして行く時、嫌な思いが消えて行く事を経験す
る。主を呼び求めよう。その時、御霊の導きの下におれる。

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いつも疲れ人は来なさいと招いて下さっている。御霊があるところ
には自由があって、伸びやかだ。平安なく、心が重苦しいなら、主
のもとに行き、ありのままを告げて、主と交わろう。御霊の流れの
中に導き返して下さる。そこには憩いがあり自由がある。