2018年06月19日(火)

「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす」箴言12:18



人間関係において、言葉は人を殺すこともできるし、又、いやす事
もできると言っている。言葉は、剣が人を殺すと同様に、その人の
人格をズタズタに傷つける事が出来る。人から傷つく言葉を言われ
たり、又、自分も人を傷つける言葉を言って後悔する。人をいやす
言葉を語れたらどんなに幸いだろう。

「心に満ちていることを口が話す」とあるように、言葉以前に、心
が問題だ。憎しみが満ちていれば、トゲのある言葉となり、心に愛
があれば、いやす言葉となって自然に溢れ出て来る。心が御霊に導
かれ、支配されるよう求めよう。

又、言葉を発する時に、心に留めるべき事がある。@それは真実だ
ろうか。憶測ではないか。事実だろうか。人づてに聞いた単なる噂
話ではないか。まず真実でなければ話にならない。嘘を広める事に
なる。そして真実だとしても、その場で語る必要があるかどうか心
に留めよう

Aそれはフェアだろうか。偏見は無いか。又、その場にいない人の
事は言うべきではない。その人は反論が出来ないのだから、フェア
ではない。B愛があるか。誰かが傷つかないか。語る時に愛がある
だろうか。愛が無ければその言葉は相手に届かない。Cそれは有益
だろうか。人を励まし、慰め、力づけ人の徳を高めるだろうか。信
仰的だろうか。

「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってくださ
い」と祈っていよう。舌は誰にも制御できない、少しもじっとして
いない悪であり、死の毒に満ちていると言っている。発した言葉は
取り返しがつかない。だからこそ祈りが必要で、祈りにより舌は守
られ、主のために用いられて行く。
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うかつに言葉を発すると、ただ自分のための自分にふさわしい話し
方になってしまわないか。自分の弱さを自覚し警戒し主に頼ろう。
発するにふさわしい言葉を吟味し語ろう。