2019年02月17日(日)

「・・ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏 のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ」マル コ14:3


マリヤは自身の香油を、主の頭にすべて注いだ。その香油は300デ
ナリで、1デナリが労働者1日分の給料であり、給料10ヶ月分だ。
非常に高価な物であった。又、その香油は女性が結婚の時のために
と、少しづつ々ためて行くものだった。非常に大切な宝であった。
それを惜しげもなく全部献げた。するとそれを見た弟子達が、貧し
い人々に使えたのにと非難し憤慨した。

しかし主は、マリヤのその行為の意味をわかっておられた。「わた
しのために、立派な事をしてくれた」と。埋葬の準備にと油を塗っ
た。それは、主に香油を塗れる最後の時であった。その後主は十字
架へと向かわれた。そして週の初めの日の明け方、主のご遺体に香
料を塗るために、女性たちが墓に行ったが、もう主は復活されて、
誰も塗ることができなかった。

まさにマリヤが塗ったのが最後の機会だった。それはどんなに主を
お慰めした事だろう。マリヤは大切な香油は無くしてしまったが、
その犠牲の大きな分、心が、愛が、主に向かい溢れた。主によって
心満たされ、悔いの無いすがすがしい、晴れやかな確信が深められ
た。献げる事の意味を知り、祝福を味わい、生涯を主に献げて生き
た。

どんなに祝福だったろう。「時と機会」を逸してはならない。マリ
ヤはなぜそのピッタリの「時」がわかったのか。いつも御言葉に耳
を澄ましていたからだった。私たちも御声に耳を傾けるなら、自分
に出来る事をする機会を悟る。

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主が「わたしのために・・してくれた」と言って下さる。自分にと
って、主にお献げできる香油は何だろう。「すべての人が時と機会
に出会う」とあるが、時と機会を逃すことが無いように、御霊の示
しを祈り見張っていよう。主に喜んでいただける幸い。