2019年05月20日(月)

「カレブが・・民を静めて言った『私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから』」民数記13:30



イスラエルの民が、エジプトでの苦役で、主に叫び求めた時に、主
はモーセを遣わし、民を救い出された。主の偉大な奇跡によって、
紅海が分けられ、出エジプトを果たした。民は、どんなに喜び踊っ
たことだろう。偉大な奇跡を目の当たりに見た。そしてモーセのも
とで、民は、主が約束して下さった乳の蜜の流れる地、カナンを目
指した。

カナン目前で、各部族から2人づつ12人の斥候を遣わした。斥候は
カナンの地を探った。戻った時に、ヨシュアとカレブは、「私たち
は是非とも、上って行って占領しよう。必ずできるから」と主に拠
り頼んで攻め上ろうと勝利宣言をした。しかし他の10人は「攻め上
れない。敵は私たちより強く、私たちはいなごのようだ」と。

主に拠り頼むのではなく「自分の悟りに頼り」不信仰に陥った。不
信仰は蔓延し、民たちも「荒野で死んだほうがましだ」と大声を上
げて叫び、泣き明かした。「エジプトへ帰ろう」とまで言い出した。
信仰人生で迷路に迷い込むのは、「自分の悟り」に頼るからだ。
「主に拠り頼む」ことを忘れてしまう。自分の思いの方が正しいと
思い、そう見えてしまう。

そんな時こそ、自分の悟りを捨てて、主の御心に従うなら、大きな
祝福を見る。ペテロが、自分の悟りでは「ノー」だが、「・・でも、
お言葉通りに網を下ろし」た時、大漁という破格の祝福にあずかっ
た。今、目の前に選択すべき事があるなら、自分の悟りを捨てて、
御言葉に拠り頼み、従おう。
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見た所がどうであっても、御言葉の道に祝福と平安がある。ころこ
ろ変わる人の言葉と自分の悟りによって生きるか、御言葉によって
生きるか、大事な選択を間違わないでいよう。