2019年09月19日(木)

「ヨシュアは祭司たちに命じて言った。『契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい』」ヨシュア3:5



約束の地カナンを目前にし、指導者ヨシュアは、ヨルダン川を渡り、
約束の地へ行けと主に命じられた。水が、とうとうと岸いっぱいに
溢れ流れる川だ。祭司たちは、ただ、ヨシュアの言葉だけが頼りで
あった。「足の裏が、水の中にとどまると、上から流れ下って来る
水がせきとめられ、せきをなして立つようになる」と。

ヨシュアの指示通り、祭司たちは契約の箱をかついで、ヨルダン川
に足を踏み入れた。それは丁度、春先の最も水かさが増える時期で
あり、自分の背丈よりも深い川に入って行こうとした。先に、川の
水が、そのようになってから、渡るなら大変簡単だ。誰でも渡れる。
しかし、まだ川の水が岸一杯に溢れている時に、足を水の中に入れ
る事は、決して簡単ではない。

そこには信仰が必要だ。語られた御言葉に従うことが信仰であり、
信仰もって一歩従う時、いつも主のみわざを見せられる。何も見え
なくとも、一歩従う時に、確かにみわざが成されて行く。私たちは、
見えない状況は非常に不安で、恐れる。少しでも見えたなら従える
と思う。しかし見えたなら、信仰は要らない。

先にヨルダンの水がせき止められたのでなく、足を踏み入れた後に、
せき止められた。この順序は重要だ。目で見てから従おうとするな
ら、一生従えない。あなたの目の前の一歩は、何だろう。示しがあ
るなら、御言葉だけを頼りに、何も見えない中で踏み出そう。主の
大きなみわざを見ることになる。
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見えないところを踏み出すのが信仰とわかっていても、願うのは少
しだけ先を見せてくださいだ。でも主が示されたからには必ず祝福
される。信じて少しでも踏み出そう。