2019年11月19日(火) 「律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです」ガラテヤ5:4
「律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです」ガラテヤ5:4
主に、御言葉に、御心に従おうとする時に、衝突して来るものがあ る。経験するだろうか。この世の価値観、習慣、考え方、自分の思 いだ。一見正しく妥当に見える。救われる前は、叱咤激励の価値観 で生きて来たので、自分の力で頑張る事が善であり、美徳だ。 今まで真面目に生きて来たが、真の神に出会うや、今まで以上に真 面目に、忠実でなければと、信仰生活は厳しい修業のように思って しまう。苦しいのだが、しかし苦労も美徳、苦しいのは当然、むし ろなぜか苦しいと安心感があったりする。修業している気になれる。 日本人気質に合致する。これら世の価値観から来ている。 しかし実は真理と逆方向に向かっている。それは神から出ていない。 ここでは割礼の事が問題となっている。ユダヤ人の慣習である割礼 を受け入れて、問題を起こさぬようにとする。何かの行ないによっ て、神に、人に認められよう、受け入れられようとする事は、もは や恵みではない。それはキリストから離れ、恵みから落ちてしまっ ていると。 信仰生活は、神に受け入れてもらうための苦しい修業でなく、逆に そこから主が十字架により、救い出し、解放して下さったものだ。 すでに主に丸ごと受け入れられ、100%の愛を受けているから、嬉 しいから喜んで、感謝して自由意志で主に従って行くものだ。「ね ばならない」の義務感ではいっさいなく、「愛によって働く信仰」 愛が動機であり、自発的に仕えて行くものだ。そこには主への愛と 喜びと平安がある。 -------------- 行いも信仰も不完全で不安定な者が、既に主の十字架で受け入れら れている。この恵みの確信に立つときやっと平安を得る。主にある 自由と喜びを持って主の愛に応えて行きたい。