2020年01月20日(月)

「ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか」ルカ14:34



私たちが地の塩だと言われ、又、私たちの言葉が親切であり、塩
味の効いたものであるようにとも言われている。「親切」=「恵み
に満ちた」となっていて、私たちの言葉が、愛から出たものである
時に、同時に塩味が効いた言葉となる。そして塩味が効いた言葉と
は御言葉であり、御言葉に基づいて出た言葉だ。

人は誰しも、自分に都合の良い言葉を聞きたい。「自分に都合の良
いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々と教師
たちを寄せ集め・・真理から耳をそむけ」の通り、それは、肉には
非常に心地良い言葉だ。しかし肉を喜ばせる言葉なら、塩気のない
言葉になってしまう。それは相手へのへつらいであり、機嫌取りで
あり、真理から離れた言葉になる。

だが塩気の効いた言葉は、真理の言葉に基づいており、時には厳し
いかも知れない。だがそれは真に相手のためである言葉だ。そのた
めには御霊に導かれる事が必要だ。祈らなければ、発することがで
きない。祈りながら言葉をかける時に、御霊が教えて導いて下さる。
又、過度に塩気のみの言葉もある。正しいのだが愛が無い。

正しいだけに反論が出来ず、正論は、相手を追い詰めてしまう。言
われている事は正しいのだが、心がどうしても動かない。心に響か
ないだけでなく、心が苦しくなってしまう。塩けは感謝の言葉でも
ある。御霊により親切で塩けのある言葉が口に授けられるよう祈ろ
う。
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言葉で間違いを犯しやすいと恐れるあまり気づけば心地よい言葉だ
けを選んでいる。真に御言葉に立って祈って言葉を発したい。自分
の中に塩気を保てるよう主に求めていこう。