2020年11月19日(木)

「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」詩篇73:28


主を信じる以前、私たちは心に虚しさを覚えた。目の前のハピーな
事、快楽がある時には忘れているが、心が他の事に奪われているだ
けで、底にある虚しさは無くならなかった。生きる意味も目的もわ
からなかった。虚しさをごまかして、だましだまし、向き合う事を
避けて、生きて来たのかも知れない。主を信じ受け入れた後はどう
だろう。

ソロモンは、栄華を極め、富、名誉、地位、権力、そして知恵と、
何もかも持っていた。そしてありとあらゆる快楽を味わっていた。
贅沢三昧、700人の王妃と300人のそばめがいた。その妻たちが、ソ
ロモンの心を他の神々に転じさせたとあるが。領土の拡大、銅、建
築、土木を発展させ、壮大な神殿建設、事業、様々な分野で活躍し、
あらゆる楽しみという楽しみを味わい尽くした。

しかし、晩年の彼の言葉は「空の空。すべては空」だった。何もか
もが虚しいと。原因は、晩年は神から離れてしまっていたからだっ
た。得られる限りの何もかもを手に入れたソロモンの言葉だ。私た
ちはしばしば勘違いする。不足、虚しさを覚えるのは、仕事に恵ま
れないから、経済的に貧しいから、伴侶がいないから、家族に、友
人に恵まれないからと思ってしまう。

しかしそうではないと。外側の問題ではない。「結局のところ・・
神を恐れよ。神の命令を守れ。それが人間にとってすべてである」。
神と自分の関係が問題だ。神との生き生きとした交わりに生きる時
に、初めて平安と喜びと幸せの中に歩める。
-----------
御霊を通して主の励ましを受け取ると、小さな祈りにも聞いていて
くださる主を感じる。どんな中にあってもこの世で主に助けを求め
ながら歩めるとは、何と平安で豊かな日々だろう。