2021年02月17日(水)

「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」箴言27:5



「もし、誰かが過ちに陥ったなら、その人を正してあげなさい」と
言われている。その場合「柔和な心で」と。往々にして、すぐに肉
が反応してしまい、腹を立てて、正そうとしてしまう。その肉を正
義感と勘違いしてしまう。又は、密かに、自分ならそのようにしな
いと高ぶり、正す事はせず、心の中で裁くだけかも知れない。

他の箇所では、その人の所へ行って「二人だけのところで、責めな
さい」と。責めるとは、過ちを指し示す事だ。その目的は「兄弟を
得るため」と。裁くためでなく、回復のためで、建て上げるためと。
「御霊の人であるあなたがたは」とあり、人を正す時は、御霊に導
かれる事が大切だ。自分も過ちを犯す者である事を覚え、へりくだ
って、愛を持って対応せよと。

盲目的な愛は、単なる甘やかしになる。「愛をもって真理を語り」
と、御霊の愛は、語るべき事をはっきりと語る。御霊に導かれる事
が大切だ。ある人が、主に在る友に、間違いを忠告するよう、御霊
に示された。相手にとって突かれたくない、最も痛い所だった。言
うと関係が終わってしまうのではと思うが、幾ら祈っても御霊の示
しは変わらない。

御霊に押し出され、愛をもってはっきりと指摘し語った。思った通
り、相手は激怒した。痛い事だからだ。しかし相手はずっとその事
を考え、悔い改めに導かれた。そして忠告を心から感謝された。御
霊の示しがあるなら、従おう。
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主が良い関係を築いてくださるよう祈って従おう。愛しているから
そっとしておこうと思うのも不誠実ではないか。御霊の導きなら、
向き合おう。