2021年05月20日(木) 「悪いことをする者は光を憎み・・光のほうに来ない。しかし、真理 を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:20
「悪いことをする者は光を憎み・・光のほうに来ない。しかし、真理 を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:20
ある医師が、極めて厳しい困難な状況にある患者から、心の悩みの 相談を受けた。その時に、その医師は自分の専門外の事だったので、 率直に「ごめんなさい。自分にはわかりません。何も言って上げる 事ができません」と話した。うまくごまかしたり、繕ったり、適当 にあしらったりせず、正直に自らの無力を認めた、その医師は誠実 だった。 主は常に私たちを助けよう、助けたいと願い、待ち構えておられる。 しかし私たちの態度が問題だ。主の御前に、正直である事を喜ばれ る。主に対してただ正直で、真実で、ありのままでありさえすれば、 主はどんな状態でも導いて下さる。どんなに自分で酷い状態だと思 っても、御前に正直でさえあれば、主は必ず導かれる。 「真理を行なう者は、光のほうに来る」。真理を行なうとは、主の 御前にありのまま、正直であることだ。正直な自分を認めることだ。 ありのまま認めるので、光の中にいる。光に照らされるので、罪が はっきりとわかり、悔い改めることができる。そしてその罪は、完 全に赦される。そのため平安と喜びの中におれる。 罪を認めたくなければ、光のほうに来ない。それなら、やみの中に いることになってしまう。「わたしは彼らを贖おうとするが、彼ら はわたしにまやかしを言う」自分を繕い、ごまかしてしまう。あり のままを認めて行く時、御霊の光に照らされる。光は心の隅々まで 照らし出し、裏表の無い人格を形造る。御霊に照らされる自らの姿 を認める事から始めよう。 ・・・・・・・・・・・ 自分の罪や弱さからは、目をそむけていたい。見たくないし、逃げ ていたい。しかしそれなら闇の中だ。罪を持ったまま主のもとへ行 く時、心照らされて、罪がわかる。主のもとに赦しがある。主の赦 しを経験する時、主の愛がわかる。ますます愛を知って行ける。