2021年07月20日(火)

「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」箴言18:12




ダビデは、高慢の罪から守られるように、それらに支配されないよ
うにと、絶えず日ごとに、主に求めて祈っていた。そのため、主は
ダビデの祈りに答えて、ダビデを高慢から守られ、主と人に仕えて
行けるようにされた。クリスチャンともなれば、恥ずかしい事なの
で、表だって偉そうにしたり、自慢したりはしない。

誰しもきっと「いえいえ、私などは」と腰を低くし、末席に座るだ
ろう。しかし、心の中はどうだろう。人と比較して心の中で、自分
はそのように愚かではないと、自分ならそのようにはしないと、裁
いたり、見下したり、自分を誇ったりするなら、これらは高ぶりの
罪だ。又、神の言葉に対してはどうだろう。「主よ。お話ください。
しもべは聞いております」と、「み声に従います」の姿勢で、へり
くだって、御言葉の下に自分を置いているだろうか。

都合の良い言葉、思い通りの言葉だけを取って来るだろうか。「自
分の都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって」
御言葉に対するなら、御言葉の上に自分を置くことになり、自分が
主人になってしまう。自分が御言葉を取捨選択し、都合の悪い御言
葉は捨てて、都合の良い御言葉は取って来てしまう。

又、御言葉をどのように受け取っているだろう。例えば、「わたし
はあなたを愛している」を「そう思えない、感じない」と受け入れ
ないなら、高慢だ。又、「必要をすべて満たす」を「状況はそう見
えない、思えない」と御言葉を捨てるなら、やはり高慢だ。あるが
ままを主に祈り、助けを求めよう。御言葉をそのまま受け取ること
が、へりくだることだ。祈って、受け取れるよう助けていただこう。
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自分の足りないところを主は折に触れ教えてくださるのに、それに
すぐに高ぶり失敗をしてしまう。日ごとに主から知恵を受けよう。
へりくだり御言葉を求め、従おう。