2021年08月20日(金) 「『ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません』イエスは言われた『それを、ここに持って来なさい』」マタイ14:17
「『ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません』イエスは言われた『それを、ここに持って来なさい』」マタイ14:17
多くの人は、生まれつきマイナス思考に傾くと言われている。悲観 的に考えが傾いて行く。ちょっと不安材料があると、思い煩いはど んどん膨らんでしまう。そんなネガティブ思考は、信仰生活にも影 響する。「私一人ぐらいが、何かをしても、何になろう、何にもな らない」「こんな微々たる献金をしても、何の足しにもならない。 しても、しなくても同じだ」「不信仰な自分が祈っても、聞かれな いだろう」「自分は信仰が弱いから、何も出来ない」「自分一人が 証しをしても、こんな大勢の未信者の中で、微力で、何になろう」。 ある時、主が弟子たちに、大勢の群衆に食べ物を上げるようにと言 われた。するとヨハネが、少年が弁当を持っていますと、探し出し て来た。しかし、少年の5つのパンと2匹の魚は、焼け石に水に思 われた。 「こんなに大勢の人々では、それが何になりましょう」と。しかし、 主は少年から弁当を受け取り、御父に感謝を献げ、人々に分け与え ると、パンも魚も無くならず、何と全員が食して、満腹した。その 上、尚も余りが12のかご一杯になった。微々たるものでも、どん なに小さくても、「それを、ここに持って来なさい」との主に 献げる時に、何100倍にも増やして、祝福して用いて下さる。 どんなに微量でも、問題無い。それが主の手に渡る事が重要だ。そ の時に、思いも及ばない大きな素晴らしいみわざを見る事になる。 「あれが、これが出来ない、あれも、これも無い」でなく、手の中 にある、僅かなものを、主のもとに持って行き、お献げしよう。 ---------- こんなものが何になろうと、自分の内から聞こえるとき、自分が計 画の最前線に立っていることに気づいていない。僅かな物は僅かに しか見えない不信仰な者だが、主は何とかしてくださると持って行 ったヨハネに学びたい。